#5 読書感想文
さっき東日本で地震があった情報を見ました、みんな大丈夫かな。
その情報と一緒に「にげて」というテロップのでたニュースの画像が貼ってあって身震い。
2011年の経験があるから多くの人は適切な行動をとれてると思う分、2011年を知ってるから余計怖いです。
TV越しでみた映像が今でもずーっと鮮明に頭に残ってる。
昨日スイス・リヒテンシュタインから帰ってきて、そのことを書く前に先月行ったイタリア旅行も書いておこうと思ったけど、地震のニュースをみて重松清の本を思い出したから今日はその読書感想文。
はじめて重松清の本を読んだのは、小学校高学年か中学一年生くらい。お母さんが読んでたのがきっかけ。
短編ものが多くて、家族や学校をテーマにした作品が多いから読みやすいです。
その中でも、東日本大震災に関係する作品を2冊読んだことがあったので今日はそれについて。
『また次の春へ』2013
震災っていう、センシティブなテーマを、東京でしかあの震災を体験してない私が、ブログに軽々と書くのはどうなのかなって思ったけど
だからこそこの本をオススメしたいなっていう気持ちが出てきました。
7つの短編集になっていて、どれも「あの日」に傷付いた人たちがそれぞれ「前へ」進んでいくストーリー。
被災地で傷付いた人だけじゃなくて、遠くからも傷付いた人たちも描かれています。
私が特に印象残ったお話は「記念日」でした。
被災地から遠く離れた人たちなりの苦悩が描かれていて、感情移入した作品。
震災を経験していない人が、同じような痛みを理解することが難しいとは分かっていても、だからこそ悩むことがたくさんあったりする。
震災を風化させてはいけない、
でも体験した人も、そうじゃない人も色々な意味で「あの日」のことを口に出すことがなかなか出来ないんじゃないかなって
今も私は上手にこの感情を言葉にすることは出来ないけど、この本は読んでる人の気持ちを物語にしてくれている気がします。
『希望の地図 3.11から始まる希望の物語』
引きこもりになった少年が、知り合いのライターの被災地での取材に同行するお話。
これは著者自身によるフィールドワークによってできたドキュメントノベルです。
小さい本の中にギューーーっとたくさんのことが詰まっていて、読んでる途中何度も放心状態に。
いわき、石巻、気仙沼、南三陸、釜石、大船渡、福島、飯舘と各地様々なところ出てきて、自分も一緒に行ったかのように作品に引き込まれました。
その中でも私が1番印象に残ったエピソードは
ケセン語は、東北 気仙地方の方言を1つの言語とみたもの。地元のお医者さんがキリスト教の新約聖書をギリシア語の原点からケセン語に翻訳したもの。
津波によってほとんどの聖書が泥水に浸ってしまったが、大津波に耐えた聖書として震災後たくさんの注文がきたそうです。
大学の哲学のゼミで現代日本の宗教観について、自分なりに調べている私にとってこのお話はすごく考えさせられました。
宗教は、何か辛い時や悲しい時に導いてくれる存在だなっと調べているうちに思ってきて、
宗教意識の低い現代の日本人にとってなにか越えられない壁に当たった時、支えになるものが少ないんじゃないのかなって。
もしかしたらそういう部分が自分ばかりを責める傾向にあったり、ストレスを感じるのではないか、と。(今後の研究課題になりそうです。)
もし何かを強く信仰している時、辛いことや悲しいことがあっても
何かの導きだとか、神様がそうさせたと思うことが出来るけど
何も信じていないから「あの時こうすればよかった」「もし〜してたら」っていう考えばっかでなかなか前進することが難しいのかなと考えたり。
かと言う私も、色々宗教のことを調べるうちにそれぞれの持つ考えが素敵に思うことがあるんだけど、だからといって今から信仰心を持とうと思うのはなかなか出来なくて。
でも潜在的に自分の考えは神道や仏教に繋がっているんだろうなぁって思えることも増えたり。
そういう意味でケセン語訳の新約聖書は、馴染みの言葉で人たちに寄り添うことが出来ていたのかなと思います。
宗教ではなくても、人は傷付いた時に頼りにしたり責任転嫁する何かががあってもいいのかもしれない。
(Tokyo 2016)
話が少し逸れちゃったけど、
本は素敵な文章だったり、グッとくる言葉がたくさん散りばめられていると思う。
震災っていう重いテーマも、重松清の本から風化させてはいけないっていうメッセージと一緒に色んな人の思いがストレートに入ってくる感じ。
この2冊の本は定期的に読み返したい本だし、ぜひみんなにも読んでもらいたいです。
Haruka